導入事例

P-WORK総研お客様に聞く - 平成観光

「夢と感動のおもちゃ箱カンパニー」平成観光様に、業界注目の急成長のストーリーと、組織急拡大の中で求心力を維持するための「理念経営」について語っていただきました。

岐阜を本拠地とするホール企業、平成観光の成長が止まらない! 2002年には190億円だった年商が2005年には947億円と何と3年で5倍の激伸び! だがその平成観光も創業当初は10億の借金にあえぎ、手形を飛ばしたことさえあったという。その苦境から、いかに一発逆転を果たしたのか、急成長する組織をまとめるために何に取り組んだのか、東野昌一専務取締役と、小岩井仁志課長に詳しく聞いた。

ひと第一

「平成観光は、ひと第一の会社でありたい。これ、本気です。この会社に入って同じ釜の飯を食べたからには、体が動かなくなるまで、ここで一緒にがんばろうよと言いたい。永年勤務する社員を出すことが目標」

「企業は誰の物かという議論を最近よく聞く。上場企業なら、その企業は株主の物かな。でも僕らは非上場企業だし、上場も目指していない。ということは、平成観光という会社は社員の物です。そしてお店はお客様の物、地域の物」

原体験

− このような『ひと重視』の価値観を持つに至った原体験。それは20年前の事業の失敗だという。

「20年前のウチは親父が中心になって、北海道で事業をしていました。その頃のパチンコ屋さんはあまり世間に良く思われていない業種。親としては別の、世に認められている事業を子供に継がせたいと思ったのかな。ゴルフ場やリゾート開発に手を広げたのですが、これが大失敗」

「ある朝、新聞見ると、一面に親父の顔が載っていた。え、ウチ倒産したの !? てなもんで、親から聞く前に新聞で知りました。負債総額は32億。当時の北海道で30億以上の倒産は珍しく、おかげで新聞の一面を飾っちゃった。負債を出したのはリゾート開発とかホテルとかの方で、パチンコ事業は成功してたんですよ。でも本体の負債があまりに大きかったので、パチンコ屋の方も店を閉めざるを得なくなりました。」

「店を閉める最中に痛感したこと。我々は、ご来店いただいていたお客様に迷惑をかけた。働いていた社員に迷惑をかけた。お店があった地域社会に迷惑をかけた。こんなことはもう繰り返してはならない。その想いが、今の平成観光イズムの原型です 」

一号店オープン

− そして東野一家は、生まれ故郷の岐阜に戻り、パチンコ事業で再出発を期した。時は平成元年。 「小渕さんがヒュッと紙を出したのを見て、ヨシこれだ」ということで、社名は平成観光に決定。そして苦労の末、平成2年12月には一号店であるパーラーキング可児(かに)店のグランドオープンにこぎつけた。

「当時は、お店を開けるのも閉めるのも、釘を叩くのも、両替機にお金をつめるのも、ぜーんぶ僕の仕事。何でも自分でやりました。その後、社員やバイトも少しずつ増えてきましたが、それにしたって、朝昼晩と顔を突き合わせているものだから、全員の顔が分かり、全員の名前が分かり、全員の家族構成から家庭環境まで全部知ってる。身内の集まり。まんま家族経営でした」

「ぜんぶ自分でやるのも、大変なようで良い点もあって、何たって、ぜんぶ自分の思いどおりにできる。思い通りだから変な問題が起きないし、仮に問題が起きても全部自分の裁量でこなせますし」

「当時は、オーナーも社員も一緒になって、皆でワイワイガヤガヤの毎日。パチンコ屋さんによっては、オーナーを頂点とする軍隊式の管理をする所もあるらしいけど、ウチはフラットだった。だいたい僕の方がまわりの社員より年下だったし」

「店づくりにしても、不動産屋に払う手数料が惜しくて、謄本から何から全部自分で上げたり、お店の設計図もできる限り自分で引いたり、やれることは自分でやりました。一方、 知識ほとんどゼロからスタートしたせいもあって、リースという便利な仕組みがることも知らずに、設備を全部現金で買っちゃったり、銀行に借金返すために、 毎日2時半になったら売上の現金集めて銀行に駆け込んだり、それでも資金繰りが追いつかなくて一回手形を飛ばしたこともあったし、ホントいきおいだけでしたよね。あの頃は」

このままじゃ大手に負ける

− そうした努力の甲斐あって、一号店は見事に繁盛店となった。しかし立ち上がり時の多額の借金が響いたこともあり、二号店を出すまでに6年かかったという

「平成8年4月に、二号店であるパーラーキング西可児店を建てました。この時は、一号店の近所のロードサイドに普通のパチンコ屋さんを建てたのですが、その過程で、あらためて危機感を感じた。僕ら、今のやり方で本当に大丈夫なのか。未来はあるのかと」

「その頃、地元には20軒も30軒も競合店があって、マルハンもダイナムも来ていた。平成観光は後発組。要するに出遅れ。さて、この後、どんな形でお店を出していくべきか。少なくとも、昔ながらのやり方でロードサイドに土地を買って建屋を建てての普通のやり方ではダメなのは明白。仮のそのやり方で成功しても、その時は、資本力のある大手が、横にもっと大きなお店をぶつけてくるだけ」

− そして考えに考え抜いた末に、平成観光が出した結論は、「複合型で行こう」 であった。

「ウチの力だけで集客するのは無理。こうなったらオンブにだっこで別の会社の力を借りられないか。そう思って世の中を見渡せば、おっとスーパーのダイエーがパチンコ事業も始めてるでないの。あ、なるほど、この手だなと。岐阜でスーパー大手といえば一部上場のユニーに決まっている。何とかユニーにお店を出したいものだと、さっそく飛び込み営業を始めました」

バカ当たり

− こうしてユニーに交渉開始。しかし最初のうちは「門前払い。会ってももらえませんでした」という苦境であった。そして三年がかりで粘り倒した末の平成9年12月、ついにユニーの敷地内に三号店であるアピタ中津川店をオープンした。

「これがもうバカ当たり。ありえない稼働と、ありえない集客と、ありえない収益が実現してしまった」

「世の中の僕らを見る目もガラリと変わりました。それまでは、そこらへんにある単なるパチンコ屋さんという目で見られていたのが、ユニーに店を出してからは、『一部上場企業に店を出しているパチンコ屋さん』にイメージが大変身。金融機関の見る目も変わったし、採用にしたって、それまでのウチには絶対来なかった人材が来るようになった」

行くしかないぜ

− それから1年後の平成10年8月、再びにユニーとのコラボレーションにより、四号店となるK'sアミスタギャラリエアピタ知立店をオープンした。

「当時、ヤオハンが会社更生法の適用、つまり倒産ということになった。そこでヤオハン知立店は、ユニーが買収して引き取ることになった。そして、そのお店には、ヤオハン直営のパチンコ屋さんもあった。ユニーが直接パチンコ屋を経営するわけにはいかない。さて、どこに任せたものかと」

「当然ウチとしては手を上げたいところだけど、しかし躊躇もあった。そのパチンコ屋さんは営業面でどうにもならないダメダメの状態。引き継ぐのはちょっと勇気が要った」

「でもここで引いたら、せっかくのユニーとのジョイント関係にケチがつく。これはもう赤字でも何でも行くしかないぜということで、そのお店の経営を継承。 こうして四号店が誕生。岐阜の田舎者がついに愛知の大都会に出て行くことになりました。その後の業績ですが、最初はホントに苦労しましたね。今は立派に黒字化できましたが」

四年間の新規出店ストップ

− ユニーとのコラボレーションも成功し、ついに成功戦略をつかんだかに見えた平成観光。だがここで4年間、新規出店がストップすることになる。

「ついにお店も四軒。しかも四店目は、遠くの愛知県知立市にあり、さすがに僕個人が全部を回るということが不可能になりました。ここまでは家内工業の延長。家族主義のワイワイガヤガヤで何とかなった。しかし、会社がここまで大きくなると、もうそのやり方では通用しないなと」

「この際、全部の部署を、人の部分、物の部分、営業の部分で根本的に作り直す必要がある。よし三年計画で立て直すぞということで、平成11年9月には多治見市に営業本部を設立。平成12年9月には有限会社から株式会社に組織変更。その過程で、様々な人材を外から導入しました」

お手本にした会社は…

− じっくり仕組み作りに励むこと三年。平成14年に再び平成観光の出店攻勢が始まった。

「四年ぶりの出店ですから、ここで一軒、二軒とチマチマやってもしょうがない。いっきに三店出してしまおう。そうすれば認知も上がるし、勢いもつくぞと。 そして平成14年12月には土岐店と伊賀上野店をダブルでグランドオープン。さらに翌15年のゴールデンウイーク前に尾張旭店を出店。半年で計3店を出店 しました。この時は、当たるとか外れるとかあまり考えてなかったですね。もう勢いイッパツ」

− この3新店のうちの最初の2店を作る際に参考にしたのが、マルハンの店舗作り手法だったという。

「参考と言うよりは、まるっきりの真似です。当時マルハンが快進撃していたし、自分から見ても良いなと思えた。じゃあ、マルハンなぜいいんだろう。まずは勉強して吸収したいと思った。それにはマルハン風のお店を作って、実際に使ってみるのが速いんじゃないかと」

「というわけで、これまでの平成観光のやり方はひとまず我慢して、完全マルハン風の1号店2号店を作ってみた。実際に使ってみて、実に勉強になりました。いろいろな所に、なるほどすごいねという工夫がたくさんありました。いや、マルハンさすがだなと」

「で、そうして納得したら、今度はウチのオリジナリティを出していこうと。マルハンの良いところはしっかり吸収できた。よし、今度はちょっとずつ平成らしさだと」

少しずつオリジナリティを

− マルハン風の1号店2号店の次にオープンした3号店は、マルハン風を基礎としながらも、少しずつずらしたお店となった

「まず従業員にとってのお店の使い勝手の部分は、どんどん変えていきました。社員が出入りする通用口ひとつとっても、マルハン風だとこうだけど、ウチにはこの方がいいな、というような。後は、事務所と社員の休憩所を隣り合わせにしてみたりとか、そういう使い勝手の工夫」

「それ以外の点は、相変わらず先輩企業の真似です。ただ違うのは、1号店、2号店が徹底的にマルハンの真似だったのに対し、3号店は、ダイナムからペガサスから、異業種のウオールマートに至るまで、自分が良いなと思ったあらゆる業種、あらゆる企業の真似をしたことです。真似する対象を広げてみた」

「こうなると、今度は後発の強みが出てきます。成功した先輩企業の良いとこばっかり後からいいとこどりするわけです。その真似の中で、徐々に自分達のオリジナリティ、平成らしさを出していくぜ。やがてはもっと良い店を作ってやるぜと」

P-WORK総研と出会う

− 気がつけば店舗数もすでに7店。「もう家族主義経営ではヤバイ。自分一人では回れない」 状況になってきた。

「店舗が少ないうちは、経営者が手を上げて、この指と〜まれで何とかなった。でも、7店になると経営者以外の伝道師、想いを伝える人間が必要になる。そういう人間を育てるには理念が必要になる。でも、まいったな。ウチ、理念なんかないぞ。なんてことを思っていたら、そのタイミングで元マルハンの熊澤さんに出会っちゃって」

「熊澤さんや小倉さんに、ウチは今こういう状況で、将来に向けてこういうことをやりたいんだ、と相談したら、どうもウチの状況は、数年前にマルハンがすでに通った道らしい。あ、ちょうどいい、だったらウチもそれを真似しようということで、P-WORK総研と契約成立。理念作りを始めることになりました」

なぜ理念(イズム)なのか

− こうして平成観光は、会社としてもう一段上のステージに行くために、理念づくりを開始した。しかし、商店から企業へ脱皮しようとする時、理念を作る以外にも、業務のシステム化、マニュアル化を図るという選択肢もある。その道を選ぼうとは考えなかったのか。

「ぶっちゃけダイナムみたいに財務とシステムを強化するやり方もあると思う。『経営は数字と効率だ。儲かってナンボだ』という考え方。経営者としては、も しかしたらそっちが正解なのかもしれない。でも当時の自分は、財務のダイナムよりは、人のマルハンの方に惹かれていた。マルハン式の方が平成観光に合って いるとも思った。いや単純な話、いくら場所が良くて、いくら会社の制度がよくて、いくら財務が良くて資本力があっても、やっぱり最後は人だろうと。そうい う考える方がしっくり来た」

「当時、給与体系も、勤務体系もきちんと決まっていなかった。でも、そういう制度より先に、まずは理念、イズムだと。そういう『核』がないまま、いくら格好良い給与体系や勤務体系を作っても、結局てんでんばらばらになると思って」

「今でも平成観光の業務マニュアルは最小限です。マクドナルドみたいに、これ喋って、ここでお釣り渡して、次ににっこり笑いましょうといった手順は書かな い。そうでなく、イズムを従業員に伝える。そこから先、具体的にどうするかは、自分で考えろと。そうでないと、心の部分、想いの部分がお客様に伝わらな い。平成観光は、昔から、ルールや決まり事の少ない会社。それはいいことだと思っている。いいことは変えたくない」

「ちなみに、平成観光では、マニュアルはアルバイトも社員も共通です。アルバイトはお客様と直接に接する、すごく重要なスタッフ。彼らにこそイズムを理解してもらい、素晴らしい接客をしてもらわないと」

ネガティブな人間を重視

− 平成観光が「イズムづくり」を決意して、最初に行ったことは何だったのだろうか

「まず最初にイズム作りのためのプロジェクトを発足させました。メンバーは、経営陣と一般社員。一般社員は、「今後、会社を発展させるための核となるはずの人材」という基準で選びました。職位やポジションはばらばらです」

「メンバーは、ポジティブな人間とネガティブな人間を半分ずつ混ぜるように気をつけました。ネガティブな人間というのは、何が起きても人ごと、人のせい。 会社が悪い。部下が悪い。店が悪い。よそが強い。そういう言葉を使う人間のことです。そういう人間だからこそ、イズムづくりプロジェクトに入れておくべき。ポジティブな人間ばかりで、ポジティブなイズムを作っても機能しないだろうと」

− プロジェクトメンバーに入れたのは「将来の平成観光を担うであろう人材」。だがその中に『ネガティブな人間』がいる。これはどういうことなのだろうか

「要するに、カラを破って欲しい人材。こいつ能力あるんだからカラ破ったら変わるよなという人材です。その頃、業績が良かったせいで、妙に勘違いする人材が続出していた。会社の看板と自分の実力を勘違いしている人たち。おいおい、ちょっと目を覚ましてくれないと困るよと」

平成観光イズムができた!

− このイズム構築プロジェクトにおいて、P-WORK総研はどういう役割を果たしたのだろうか。

「ああしろ、こうしろとアタマごなしに指示するのではなく、我々の気づきを誘発するナビゲーターの役割でしたね。我々の自主性を尊重してくれる。やらされ感はない。しかし最後は、良い成果物が作れている。何かP-WORK総研の思うツボにはまっちゃったな。さすがマルハン仕込みのコンサルだなと」

「そしてできあがったのが、こんなイズムです」

「どのイズムも、すごくいいんじゃないかなあ。言葉ひとつとっても平成らしさ、想いが入っていて」

「理念とか言って、堅苦しい言葉で文言を作ってもしょうがないでしょ。分かりやすい、吸収しやすい言葉で書いて、社員本人の行動につながらないと意味ない」

まずは社員大会

− こうしてイズムができあがった。その次に平成観光が行ったことは何だったのか

「まずは社員大会を開きました。イズムもできて、ここから再スタート。平成観光は、これから何をしたいんだ。だからみんなにはどうなってほしいんだということを伝えた。社長にも今までの苦労をあらためて語ってもらった。社員にもイズムの事例発表をしてもらった」

「この頃、正社員は200人を超えていた。大半の社員は、初期の平成観光を知らないひとばかり。だから、わざわざ社員大会という場を設けて、会社の立ち上がり時期の苦労を、僕たち経営陣の思いを、あたためて知らせる必要があった。そういう時期だと直感がありました」

新陳代謝が始まった

− イズムを作った。社員大会もやった。その結果、平成観光の中でどんな変化が起きたのか。

「新しいイズムについていけない、古い体質の人が会社を去っていった。新陳代謝が自然に起きた。これが一番の変化です」

「かつては、古い体質の人たちであっても、『パチンコ業界の常識』、『俺様の経験』をモノサシにして、周囲を圧していればよかった。しかし、ここに来て 『平成観光イズム』という新しいモノサシが出てきた。戸惑ったでしょうね。この時、目を覚まして、自らを変えた人たちもいる。一方で、いつまでも昔にこだわる人たちは、ふてくされて、自然にやめていきました」

「そうして新陳代謝が進んだ結果、会社全体のモチベーションの『質』が上がりました。以前は、店単位のモチベーションだった。早い話、自分の店さえ良ければ良かった。となりの店が悪かろうが、そんなことは知ったこっちゃないと」

「それが今は、イズムを軸にして会社全体を成長させるにはどうすればいいか、その目標のために自分の店はどうあるべきか、自分自身どう行動するべきかという考え方。全体の中の自分のという広い視野。モチベーションのスケールが大きくなったというか」

コミュニケーションの軸ができた

− また、店内、店舗間のコミュニケーションも向上したという

「コミュニケーションが良くなるというのは、単に仲良くなるという話じゃなく、時には他の店舗に口を出す。人に小言を言うという話で、まあ、通常もめやすいところですよね。しかし、そういう場合でもイズムというモノサシに準拠すれば何とか会話が成立する。いや、イズムは便利なツールです」

「色々、プロジェクトをやってわかった。モメる原因は、会話が少ないことなんだと。意思疎通をしていない。会話をしていない。ぶつかっていない。それがギクシャクする原因なんだなと」

「ある店の中の管理職同士が仲が悪いときがある。互いに自分の仕事はやるが、しかし会話はない。本人同士は、それで良いかもしれないが、でも、それで困る のは部下です。だから部下の事を考えて、互いにどうぶつかりあっていくか。またそのそのぶつかりあいをまわりがどう助けるか。その時、仲が良いとか悪いと かを超えて、共有し合う価値基準。それがイズム。それがあれば組織が少しずつ強力になる」

イズムとお題目はどう違うか

− 事務所の壁に「〜社十訓」といった張り紙をしている会社は多い。それと平成観光のイズムの違いは何だろうか

「イズムというのは憲法みたいな物。総理大臣よりも憲法の方が偉いのと一緒で、考えようによっちゃ社長よりもイズムの方が偉いわけです。だから、社員が、 経営陣に向かって、そのやり方はイズムと違いますと食ってかかってきたっていいわけでね。それぐらいの覚悟を持って作るのがイズム。そうでないものは単な るお題目にすぎないと思う」

イズムに弊害はあるか

− ここまで話を聞く限り、イズムづくりは良いことずくめに見える。だが何事も一長一短。イズムには短の部分はないのだろうか。

「イズムは言葉でできている。その言葉が悪い意味で一人歩きをすることがある。例えば『エブリディ学園祭』というイズム。本来の意味は、学園祭の前日のワクワク感、チームの一体感をみんなで毎日味わおう。その熱気をお客様にも伝えて楽しく遊んでもらおうという意味合いで、つまり最後は、お客様満足につながらないといけない」

「でも中には、単純に『ただ楽しければいい』という風に浅く解釈している人もいる。これを糺すのは今後の課題。そのためにはイズムを伝える伝道師の役割が重要になるし。その伝道師の育成の時は、またP-WORK総研さんに出張ってもらわないと」

これからどうする?

− 平成観光は、今後、自らのイズムをどう育てていくつもりなのであろうか。

「今回、P-WORK総研の手助けがあって、すごいイズムができた。純粋に感謝!です。さらに給与体系や資格等級制度、接客マニュアルの構築も手伝ってもらえた。お、いよいよ形ができてきたなと」

「これからの課題は、イズムの『浸透』。さっきも言ったように、妙に勘違いしている人たちがいる。これを糺さないと。そしてイズムを、全国店舗の社員からアルバイトまできっちり浸透させないといけない。今P-WORK総研からはアクションラーニングを強化しましょうと提案が来ている。面白いじゃないの。OKです。新しいこと、どんどんやってください。期待してます!」

今回、P-WORK総研が提供したコンサルティング・メニュー

【 経営理念の設計・浸透 】

平成観光様の組織づくりは、「平成観光イズム」と呼ばれる経営理念を中心におき、あらゆる施策を理念色に染め上げる形で進めていきました。

<理念BOOK 「夢と感動のおもちゃ箱 平成観光」・・・どんな会社の理念とも似ていない独自の「平成観光イズム」です>

「平成観光イズム」の設計においては、以下の点を重視して進めていきました。

  1. 理念の持つ2つの機能を活かした設計
    機能1:判断に迷った際の基準となりえる論理性
    機能2:モチベーションとなりえる情動性(ワクワク感)
  2. 社員一人一人が「自分の理念」と思える、「全社員参加型の巻き込みプロセス」
  3. どこにでも通用するありきたりなコトバでない、会社のカラー溢れる独自性

その結果、「平成観光イズム」はスタッフ全員の心を強く揺さぶるユニークなものに仕上がりました。

しかし、理念は額縁に飾ってあるだけでは意味がありません。その考え方が社員に深く浸透することにより行動変革に結びつくことが重要です。そこでプロジェクトのスタッフは議論を重ね、以下のような理念浸透策を実行することとしました。

  1. 経営理念発表会(社員総会) K−Nation(ケイ・ネイション)
  2. 理念の実現者表彰制度 K−Na賞(ケイ・ネイ・ショウ)
  3. 理念BOOK 夢と感動のおもちゃ箱 平成観光

これらの策が複合的に組み合わさることで徐々に組織に理念が根付いていったのです。

【 理念連動型の人事制度設計 】

<人事制度ハンドブック 「評価シート」例・・・平成観光イズムに連動した独自の人事制度です>

平成観光様の新しい人事制度は、世間にありがちな「コンサルティング会社お仕着せのひな型をそのまま導入したタイプとは異なる、オリジナルなものに仕上がっています。

設計プロセスにおいては現場での運用を重視し、店長を中心とした「人事の素人集団」であえてプロジェクトを結成。人事のプロであるP-WORK総研コンサルタントが難解な論理を易しく噛み砕いて下準備し現場の意見を最重要視して意思決定を重ね、制度を作っていったのです。

その結果、平成観光様の人事制度は「管理職の半期年俸制」「平成観光イズム評価シート」「平成観光イズム目標管理制度」「育成的色彩の強い独自の査定会議制度」といった、「平成観光らしさ」があふれ経営に直結したインパクトの高い制度ができあがりました。

【 理念連動型の接客マニュアル設計 】

<サービスマニュアル・ハンドブック・・・「考え方のガイドライン」としての色彩が強い独自の接客マニュアルです>

P-WORK総研が提供する接客マニュアルは従来の考え方と明らかに異なります。一般的にマニュアルとは、「考えなくても行動できる」よう作業を単純化し、レベルの底あげを狙うものです。

しかしP-WORK総研が考える接客マニュアルはその逆です。つまり、「自分の頭で考えて行動する」ための参考書。つまり理念に基づくガイドラインを作り上げるのです。

「考えなくても行動できる」レベルでは競争に勝てない。自ら考え工夫することではじめて、お客様に感動を生む接客ができる。そう考え、理念の浸透策の一環として、また人事制度や育成体系と連動させることで、より高い効果をねらいます。

その結果、平成観光様の接客マニュアルは理念に基づき「なぜその行動をしなければならないのか?」を詳しく解説し、他社とは明らかに異なる行動マニュアルをつくりあげることに成功しました。

その結果、平成観光様の接客マニュアルは、「なぜその行動をするとお客様に喜ばれるのか?」を、理念から説き起こした、他社とは明らかに異なる「行動の教科書」となり、同時に平成イズムを理解する参考書にもなっています。

【 理念連動型の人材育成体系設計 】

<HEISEIマネジメント・アカデミー 資料> <360°サーベイ 回答シート>

平成観光様における人材育成体系は、役職位に基づく階層別体系を基本としながら、Off-JTとしての研修プログラムやOJT、さらにはメンター・メンティー制度などを組み合わせた、立体的なものとなりました。また、平成観光様独自の理念に連動する形で、オリジナルの研修も開発。

これら理念に基づいた独自の育成体系を、「平成観光マネジメントアカデミー」として設計、運用し、高い人材育成効果をあげています。

【 アクションラーニングについて 】

世界の一流企業の幹部育成手法として主流となっている、最新の研修手法です。単なる知識の習得ではなく、受講者自身の実際のビジネス上の課題の解決を目的としています。そのために、正しい目標の設定と、そこに至るプロセスの振り返りとを重視し、客観的な視点から投げ掛けられる質問を通じて「自ら真の問題に気付く」というコーチングの手法を利用します。

参考コラム(P-WORK総研ウェブサイトから『マスコミ掲載事例』にて確認できます)
オグ流・経営のウソ 14 「目標があれば頑張れる」小倉広

P-WORK総研 担当コンサルタントの視点

「今日明日食べるお米が無くてどうしよう…、と途方にくれたこともありました。 その日の売上金を機械から集めて銀行の返済へ走って持って行く、なんてことも 何度もありました。でも何クソ、と歯を食いしばって絶対にあきらめなかった…。」

平成観光様の理念発表会の中で、創業社長である東野房子社長がおっしゃった一言です。 社長は当時を思い出され、感極まったのか社員の前で涙を流しながら熱く思いを語ってくださいました。業界で注目を集める成長企業として、明るい表の面しか見えない平成観光様。しかし、 わずか3年で5倍の売上をあげるまでに急成長したその陰には「社長の思いが伝わらない…」 といったジレンマも隠れていたのです。

我々P-WORK総研がお手伝いしたのは、その「思い」を皆に伝える媒介者となること。 理念の言語化やツール化、また、各種制度を経営理念と連動させ、理念色に染め上げる ことを通じて社長の「思い」を社員へと伝えていったのです。

しかし、その熱い思いが伝わったはずの理念発表会からさらに2年が経過しました。 今では、発表会の後に入社し房子社長の涙を知らない世代がスタッフの半数以上を占めるのです。 その意味では、理念浸透はまだまだこれから。永遠に終わりの無い道、理念に基づく経営 組織づくりへの第一歩を踏み出したに過ぎないと言えるでしょう。

「本気を揺さぶる」私たちのコーポレート・キャッチに恥じることの無いよう、 平成観光様の全てのスタッフと経営者の皆様の「本気」へ対して、私自身も「本気」で立ち向かって行きたいと思います。

株式会社ピー・ワーク総合研究所
代表取締役社長 主幹コンサルタント 小倉広

※ 取材 (有)カスタマワイズ 村中明彦 2006年6月
平成観光様WEBサイトはこちら

ページの先頭に戻る